安来節とは?...。
 
 民謡「安来節」は代表的な日本民謡の一つであるが、全国的に安来節の人気を高らしめたのは出雲の初代・渡部お糸さんである。お糸さんの父は、渡部佐兵衛で、幼児より父の厳しい稽古を受け、中でも寒稽古は寒風吹き荒れる川の堤防で喉を鍛えられた、と言われる。「努力は天才に勝る」と良く言われるが、生まれつきの素質と厳しい修行の積み重ねで頭角を表し、天才少女と言われるほどになった。

やがて、東京へ出て唄い始め、レコードを吹き込むと、お糸さんの唄の上手さ、評価は全国的に広まり、それまでローカル民謡だった「安来節」も全国版民謡へと知れわたるようになった。
お糸さんの一座がはじめて東京公演したのは、大正6年4月で、はじめは出雲の数人の芸姑が踊り子として参加していたのが、踊り「どじょうすくい」を併せて公演するようになって、安来節の人気は益々人気を高くした。

その後安来節は50余年間、人気を集め東京・大阪で安来節常設館が幾つも誕生、全盛をきわめた。

安来節「どじょうすくい踊り」は「鰌すくい」とも「土壌すくい」とも言われるが、はっきりとした文献はない。

前者は「うなぎ」を念頭において構成したと言われる。大阪の「うなぎや」の屋号は「出雲屋」が多く、出雲のうなぎを使うところからきたとされる。出雲地方では、盆踊りのあと、若い衆が川から「どじょう」を捕るという風習がある、ことにもとづいたものである。

後者の「土壌すくい」は、出雲では砂鉄がよく取れ、その砂鉄をとる動作、つまり土壌すくいからその振りが付けられた、というものである。

これによると、踊り手が笊を持つのは、砂鉄と砂を振り分ける所作にるというものである。正調・安来節保存会は全国に約8、500名の会員を有し各地で切磋琢磨、自己研鑽を重ね、年一回開催される「安来節資格審査会」に挑んでいる。

その「安来節資格審査会」は「唄」・「絃」・「鼓」・「踊」に分かれ、新人は「三級」・「二級」から「一級」「初段」「二段」「三段」、上は「准師範」・「師範」を目標に挑戦する。また、毎年8月には安来節の大イベント・「安来節全国優勝大会」と銘打って、部門別・階級別の日本一を決めるコンクールが開催される。各支部の予選大会を突破した者ばかりの、支部代表が出場します。